美術館運営制度研究部会(東日本大震災支援)議事録
日 時:平成23年4月10日(日)午後1時30分~4時30分
場 所:兵庫県立美術館
出席者:美術館運営制度研究部会部会長 山梨俊夫(国立国際美術館)
 雪山行二(和歌山県立近代美術館)
 篠雅廣(大阪市立美術館)
 浅野秀剛(大和文華館)
幹事 河﨑晃一(兵庫県立美術館)※司会
事務局 企画幹事  村上博哉(国立西洋美術館)
保存研究部会 事務幹事  伊藤由美(神奈川県立近代美術館)
事務幹事  影山千夏(高知県立美術館)
前幹事  田中善明(三重県立美術館)
 田中千秋(兵庫県立美術館)
教育普及研究部会 幹事
幹事
 鬼本佳代子((財)大原美術館)
 前田淳子(山口県立美術館)
 清家三智(名古屋市美術館)
情報・資料研究部会 幹事  鴨木年泰((財)東京富士美術館)
小規模館研究部会 前幹事  廣田生馬(神戸市立小磯記念美術館)
ホームページ運営研究部会 事務幹事  浜田拓志(和歌山県立近代美術館)
ニュース研究部会 幹事  尾﨑信一郎(鳥取県立博物館)
近畿ブロック 本部館  山野英嗣(京都国立近代美術館)
       副本部館  速水豊(兵庫県立美術館)
 飯尾由貴子(兵庫県立美術館)
 江上ゆか(兵庫県立美術館)
 西田桐子(兵庫県立美術館)※書記


河﨑  (以下、所属・敬称略):運営制度研究部会の河﨑です。司会進行をさせていただきます。まず、当研究部会長の山梨国立国際美術館館長よりごあいさつします。

山梨: 『著作権ハンドブック』の発行等、運営制度研究部会からも報告事項があるが、今日は大震災支援を中心に、全国美術館会議として何をするのか、できるのかを考える会としたい。短期的、長期的に全国美術館会議ができることは何なのかを考えるためには、被災された地域の美術館の人たちから、何が必要なのか、今後どのような事情が発生するのかなどといったことについて話をよく聞くことがまず大切だと思う。ここにお集まりいただいた方たちの中には、阪神大震災を経験された方、その後の支援活動に参加された方も何人かいらっしゃるが、このたびの東北の大震災は津波による甚大な被害という阪神大震災とはまた異なった性格をもっている。これから部会ごとに現時点で集約している情報を持ち寄り、同時にみなさんの経験を交えて自由に発言していただきながら、いま明らかにできることを整理し、何から手をつけていくかの方向性を見定めていきたい。今日の話し合いの成果をもって、これから全国美術館会議としてどのような体制を組み、この後の諸問題に対処していくのがいいかを検討する手がかりを見出していきたいと考えている。したがって、本日の集まりは運営制度研究部会が招集した形にはなっているが、部会横断的なもので、全美全体としての今後の活動を検討する第一歩と思っていただきたい。
河﨑: 配布資料を補足するかたちで部会ごとに報告願います。事務局からは全部会が終わってからとします。

【保存研究部会】以下、配布資料は太字
伊藤: 「保存研究部会当面の活動(支援・調査案)」を見ていただきたい。まず状況をお聞きしないといけないと考え、準備している。資料にある「被災状況調査票」を作ってみた。全美ホームページにフォーマットとして掲載するイメージ。書いていただいたことをもとに将来的な対策、支援を考えていく。深く考えると書けなってしまうので、書けるところをとにかく書いてほしい。要望なども記してほしいし、書いてあることでわからないことがあればこちらからも聞くというようなやりとりのツールとしても使う。これがまず1点。次に、すでに事務局を通じて、あるいは保存部会へ直接、質問、要望が寄せられており、これに個別に応えることはもちろんだが、全体に共有できるものともしていきたい。長丁場になると思うのでデイリーな活動と位置づけてやっていきたい。3番目として、資材リストを作りたい。この3つに加えて、非加盟館への対応をどうするかということを考えている。ものを中心に動く者として、非加盟館である周囲の館の言葉をすくいあげて、結果的に全美の外部ということになるかもしれないが、とにかく上の方へあげていくことも必要だろうと思っている。
田中(千): 資材をリストにしてみた(「業務で利用できそうな資材リスト」)。水色の部分が被災館から要望があるのではと考えているもので、その他の部分は阪神淡路大震災で使用したもの。価格や購入先も調べてみた。イラスト(「これで完ぺき 水害作業」)はサイトから持ってきたものだが、この装備を整えると一式3万円ぐらいかかるかと思う。
田中(善): 伊藤さんの発言に補足すると、今回は被災の範囲が広いので、まずは各館で対処していただくことを基本に考えた。しかし、情報収集する中で「来てやってくれ」という声があれば、それに応える用意はもちろんある。
山梨: 調査の準備段階。調査自体を全美がとりまとめてするのか、部会でもつのか事務局とすりあわせたい。

【教育普及研究部会】
鬼本: 教育研究部会のメーリングリストや個人的なつながりから情報を集めたものをまとめたのが資料1。取り扱いについてはウ(支援活動関係者のみ伝達)。あくまで報告日時の時点での現状としてみていただきたい。状況は刻々変化していると思うので。
清家: 「東日本大震災で被災した美術館の作品修復のための基金設立に関する提案」を提出させていただいた。記述のとおり、当館のボランティアから声のあがったものである。

【情報・資料研究部会】
鴨木: 部会メンバーから提供された情報などを配布資料・震災関連メモにまとめた。一番目に震災による直接被害の情報については、文字による記録や記録写真などの画像情報、また映像による記録等を体系的に収集して今後に生かせればと思う。ある企業からは震災関連情報を収集し保存するためのツールとしてデータベースの提供を打診された。この例に限らず被災情報を正確に適切に記録する仕組み作りが必要ではないかと考えている。インターネット上では今回の震災における美術館・博物館の被災状況に関する一般の情報サイトがいろいろ立ち上がっている。こうしたサイトでは情報ソースが伝聞によるものなど必ずしも正しい情報に基づいているといえないが、新聞・テレビ等では美術館の被災に関する報道がほとんどないので、関心のある人はこれらのサイトの動向に注目していると思う。一般には震災に対して美術館・博物館の分野でどのような取り組みが行われているかということについて全くわからないのは後手に回っている印象では。二番目に今回の震災では個人的な体験としても携帯電話や固定電話などが全く役に立たないことを痛感し、これまでの手段ではない連絡手段、情報収集手段が必要と感じた。私の所属館についていえば、地震発生時に館内で携帯電話が通じず、他の職員がどこにいて何をやっているかなどスムーズな状況把握と相互の連携に支障があった。こうした場合館内放送や無線が有効であると感じた。また、一方で今回の震災ではツィッターやフェイスブックなどが連絡手段や情報共有に役立ったということもある。昨今のスマートフォンなどの普及を考えると美術館内でのWIFI環境の整備なども検討に値するのではないか。三番目に今回のような大規模な震災では直接被害のみならず計画停電による開館時間の短縮や原発問題などによる展覧会の延期・中止についての問題などの間接的な被害や影響に関する情報についても収集し対策を検討することが必要だろう。所属館については、計画停電の対象地区になっているが、停電が計画された限りは実際に実施されてもされなくても、事前の対策を立てねばならずかなりの影響を蒙っている。最後になるが、建物や文化財の被災だけではなく、災害時にPCが破損することなどにより館内のサーバーにある美術品のデータベースやデジタルデータなどが失われるケースが想定される。美術館・博物館における災害時の情報資産の保全についても考えないといけないだろう。

【小規模館研究部会】
廣田: 当部会のメーリングリストを使って情報収集し、事務局にも情報を上げた。これを資料にまとめた(「小規模館研究部会で把握している東北の部会加盟館ならびに周辺の状況について」)。全美の加盟館が中心だが、周辺館のことも聞いた。美術館はともかく博物館の情報、あるいはお寺など文化財的なもののあるところの情報は、当地にいてもなかなか入ってこないとのことだ。内陸部は徐々に改善されているようだが、海岸部は横の情報というのが入ってこないらしい。人に対する救援活動が落ち着いていない段階で、それらのものはまだ放置されているのだろうと想像する。支援活動は加盟館に対するものになるだろうが、当部会の事情にひきよせていうと、小規模館は必然的に地域のつながりが強く、美術館を越えて博物 館など歴史的資料を扱うところや地域の美術家などにも目配りをする必要があるのではないかと考える。資料としてもってきた写真入りのレポート(「【報告】陸前高田市立博物館の状況」)は陸前高田市立博物館のもので、小規模館研究部会・岩手町立石神の丘美術館の齋藤氏が盛岡市教委経由で得た情報。ここは全美には加盟していないが、日本博物館協会加盟館である。こういうこともあるので、支援等の際には日博協などとも連携をとらないといけないのかもしれない。お配りした資料はモノクロだがカラーで見ると非常にショッキング。16年前の大震災の当館の様子などと照らし合わせても、この状況が想像を絶するものであることがわかる。このほか、リアス・アーク美術館学芸員の山内氏と携帯電話で話し、資料としてまとめた(「リアス・アーク美術館 学芸員 山内宏泰氏の話~被災館の現状把握と今後の支援のあり方についての参考に」)。ご本人の家も流され美術館で寝泊りされている。携帯電話の電源を気にしながらの聞き取りだった。運営母体のうちのひとつである南三陸町の館への意思が確認できず、支援云々の要不要も決めにくい状況とのこと。建物に被害が出ているが、程度の判断はまだできていない。幸い作品には大きな被害がなく館内を移動させて余震対策を施した。建物の被害如何によっては作品を外部に移動するということなになるかもしれず、その際に資材等々、支援を仰ぎたい気持ちもあるとのことだった。ただ寄託作品も多く、館内でなんとかするのがベストであるとも。小規模館からはまるっきりベタな報告となったが、これが地域の今の生々しい現実なのだと思う。

【ホームページ運営研究部会】
浜田: 「東日本大震災 文化財の救援や保全に関するサイト」をまとめた。「東日本大震災にかかる支援活動案の整理表」を作ってみた。加盟館だけではなく周辺や関係の深い館にも目を向けるべきかもしれないと思い、8に「被災美術館の属する地域に対する支援」を入れた。また、11の「募金活動」なども対象になるのでは、と想像した。支援の要望がないという調査結果もあるが、尋ね方次第、例えば「これこれ、こういう支援ができる」という問いかけをすれば違うのではないか。遠慮ということもあるかもしれない。調査やアンケートに対する回答の場合、館内決裁が必要だということで出方が硬くなるケースもあるかもしれない。当部会で収集した情報を読み解いて「東日本大震災に係る情報や支援策(案)」にまとめた。いずにせよ、事務局から出された「支援活動に関する加盟館アンケートご協力お願い」の文末に書かれたことが現時点での全美からのメッセージであり、これを形にしていくことが大切だと思う。

【ニュース研究部会】
尾﨑: 3月19日に予定していた部会を開催した。東京から2名合計9名の参加があった。
支援等の資料は付けていないが、ここにおられる何人かの方と同様、阪神淡路大震災を経験したので、支援その他協力したいし、大いなる関心を持っている。

河﨑: 近畿ブロック本部館(京都国立近代美術館)の山野さん、運営研究部会の雪山さん、篠さんからもどうぞ。
山野: 私自身も阪神淡路大震災では被災し、当地の美術館その他について大変心配している。当日は館でクレー展の開会式だったが、ニュースに見入ってしまって会場に出て行けなかったぐらいだ。宮城県美術館、岩手県立美術館からは展覧会その他でお世話になっているが、岩手県美の原田館長によると今年度予算は即刻県に引き上げられたとのことである(発言者あて宮城県立美術館学芸員和田浩一氏、岩手県立美術館原田平作館長あてファックス等資料配布)。復興にむけての支援ということでいえば、まだ個人的な思いのレベルの話になるが、展覧会の話が持ち上がればぜひ協力したいと考えている。
雪山: 阪神淡路大震災の際、救援活動に参加した。そのことを思い出していえば、まず救援・支援活動をする人の仕事をしやすくするということが重要だと思う。可能な限り出張扱いするなどして、館の態勢を整える必要がある。阪神淡路大震災の時は、一連の救援活動を全国美術館会議の活動に位置づけてもらうことからはじまった。資材ひとつ用意するにも、お金をどこから出すかなど、いろいろ問題があった。被災地に入ってからは、美術品の線引きをどうするのかということにも悩まされた。美術品・文化財でなくとも個人が大切にしている写真(ポートレート)などである。また、美術品は所有者を選べないことを考えれば、非加盟館や個人の所蔵品も対象とすることは必至であるということになった。注意すべきは、美術品をどこかへ運ぶ際、当然のことながら「預り書」のようなものを発行しなければならない。阪神淡路大震災の時のあとで、若干のトラブルが生じたと聞いている。私が参加したとき、兵庫県の教育委員会には文化財リストはなかったが、今回は被災県がリストを持っているというとのことだ。しかし現地にレスキューに入る時は、当然地元の水先案内人が要るわけだし、県教委などとはやはり連絡を密にしないといけない。
篠: 阪神淡路大震災当時、西宮市大谷記念美術館にいた。美術館の周辺はひどい被災状況でたくさんの死者も出た。その時に見た光景などが、PTSDというのだろうか、たまに蘇る。当時は夢でもうなされた。美術館は避難所になり200人を受け入れ、その人たちと6ヶ月を「暮らした」。初めての事態が目の前に広がっており、どうしたらよいかわからなかった。遺体安置所にしたいという機動隊からの要望があったが、美術館はそういう場所ではない、と断ったが、駐車場に置かれているご遺体を見て、死者に鞭打つ、デリカシーのない、なんとひどいことをしてしまったのだろうと後で悔やんだ。美術館は当然休館していたが、避難の様子の取材やワークショップをしたいというような申し出も多かった。「他と比べて美術館での避難ならくつろいで暮らしているのではないか、それを取材したい」と某新聞社から言われた時は、あいた口がふさがらず、もちろん取材は拒否した。そういう勘違いというか想像力のないたくさんの「善意」の申し出に怒りを覚えることも多かった。避難所となって時間がたつと、美術館も生活臭の日常的に漂う空間になり、そんな中で、美術館と何だろうか、学芸員とは何だろうかと考えることが多かった。美術館に避難しているおばあさんとも親しくなり「あなたたちの仕事の邪魔をして、すみません」といわれたときは、地域社会と文化施設との関係について深く自問したときもあった。ここに出席されている方々にもレスキューに来ていただき、一緒に収蔵庫で作業もした。そのあと高知県立美術館に移った。避難計画を見てみると、非現実的なことばかりの記述で、どうやら県の計画をそのまま美術館にあてはめたらしいので、見直してもらったことがある。やはり今回の地震を機に、各々の館の防災・避難の計画を見直すことも重要だと思う。また、これだけの大きな災害だが、周辺の被災していない館は淡々と開館するのがよいと思う。被災の現実から離れて、一時的にでもリフレッシュして本来の日常生活を思い出すという意味では意味があるはずだ。

河﨑: 郡山市美術館の鈴木さんから「部会員のみなさまあて」に文章が寄せられている。館長とも相談され、なんらかの方策をとることになるかもしれないとのことだ。では、事務局からどうぞ。

【事務局】
村上: 「震災関連 全美事務局より報告」を見てほしい。連絡本部を設置し、情報収集にあたったが、東北から甲信越にわたる広い範囲で時間がかかった。ホームページでの公開に際しては、わかっているところだけ出すということはせず、ある程度まとまってから出すことにした。間接的に情報が入ったところについては、事務局で直接やりとりして確認した情報を公開している。どういう形で出すかということも考え、結局3つの「被害なし」「大きな被害なし」「人的被害なし、詳細後日」の標記とした。このうち「人的被害なし、詳細後日」はかなりの幅があると思う。ざっと報告すると、北海道は被害なし、秋田・山形もほぼ大丈夫。青森は八戸などのこともあり心配したが、ほぼ大丈夫。岩手は、美術館は内陸部にあり、こちらもほぼ被害なし。宮城・福島はやはり大きな被害が出ている。そして、茨城・栃木・群馬の北関東の被害が意外に大きい。しかしながら、阪神淡路大震災と比べた印象として、災害自体の大きさに比して、美術館の作品の被害の規模は大きくないと感じている。個人的なことを話すと、電話をかけて被害状況を尋ねるのだが、先方に「作品は大丈夫だったのですが」と口ごもられると、こちらも人間なのでひどいことを想像してしまい、面識のないところにいきなり聞くのは正直難しかった。その点で知り合いを通じて得た情報を事務局に提供していただいたのはありがたかった。この場でお礼申し上げたい。ホームページ英語版の作成では、三重県美の生田さんにお世話になった。次に、何らかの被害があると情報を得たところ29館に「支援活動に関する加盟館アンケート」を送った。現時点での要望等結果は資料にあるとおりで要望なしが15件だが、これで終わるのではなく、長期的に要望を聞き取る必要があると考えている。次の段階として、救援・支援のための体勢づくりに入り、ファックス送信により次の4件の議案について臨時理事会を開催している。まず、「全国美術館会議 災害時連絡網」の承認をもとめている。この連絡網は阪神・淡路大震災をふまえて1998年にできたのだが、その後どうなっているのかがはっきりしなくなってしまい、これを確認するのに手間どった。以前保存研究部会の田中さんなどから指摘があったのを放置していたのが、時間のロスにつながった。また、この連絡網も局地的な災害には有効だと思われるが、今回のように範囲が広いとすぐさま活用できるというわけでもないと感じた。今のところ、被害の大きかったところは事務局から直接に連絡することにしている。時間がたって落ち着けば、それらのところも各県立美術館を中心にして周辺・個人の館など連絡することが可能になると思う。もっともどこまで手を広げるかという問題があるが。いずれにせよ、被災地域については拠点となるところが余裕の出るのを待つという感じ。この数日で少し余裕が出てきたように感じる。次に対策本部の設置について臨時理事会に承認をもとめている。実は、この発議の翌日に、支援要請が一件あった。石巻文化センター。宮城県を仲介して連絡があり、やっとセンターの職員の方とじかにお話ができた。「津波による甚大な被害を受けているのでお願いしたい」とのこと。文化庁のレスキュー事業とも連絡をとりあっている。これに協力する形で、全美の救援活動としてもこちらを第一としてやっていきたい。次に気になるのが廣田さんからも報告のあったリアス・アーク美術館。地震の翌週から連絡をとりあっている。次に、活動実施要領には定めがないが、支援活動委員会の設置について承認を求めている。今回は地域によって被害のあり方、出方がさまざまである。岩手県美のように建物や作品に被害はないが予算を引き上げられてしまう、あるいは計画停電の影響、海外からの作品貸し渋りなど阪神淡路大震災とは異なることがいろいろ出てきている。こうした多様な問題に対処するためのものである。文化庁が実施する「文化財レスキュー事業」への協力についても承認を求めている。ただし、この事業の対象となるのは青森、岩手、宮城、福島、茨城で、栃木、千葉、群馬などは対象外と文化庁担当者から聞いているので、栃木県美から個人美術館の救援をできないかなどと相談を受けている案件などについては全美独自で展開することになると思う。しかし、さしあたっては石巻文化センターに対する活動を、ここ半月ぐらいでやっていくということである。次に、先ほどあげていただいた各部会からの提案について、事務局からコメントさせていただきたい。保存部会からの資材リスト等の資料は活用させていただくのだが、調査についてはもう少し先だという気がしている。記録に残すための調査など当然必要なのだが、救援のための調査・アンケートはもう少し簡略化した方がいいのではないかと思う。また、作品の被害について、建物被害については専門家の調査が入ってからでないと答えるのは難しいのではないかと思う。教育研究部会からの義援金についての提案は、持ちかえって考えさせていただくが、各美術館に配る義援金なのか、全美が活動に使えるものなかなどはっきりさせないといけないこともあると思う。細かい問題がいろいろ出てきそうなので、趣旨や集めてくださる思いを受けとめた形になるのかどうかも含めて考えてみたい。全美の活動のための金は必要であるという認識で、法人化のために残しているお金と今年度あるいは来年度予算を使ってやっていくことになる。次に情報公開ということについてだが、事務局としては慎重にしたい。特に被害状況についてはあとできっちり報告すべきと考える。ネット等で見る限り信じられない誤報や恣意的なものも出回っているようだ。我々としてはWikiなどとも一線を画したい。次に非加盟館への支援だが、被災地の中核となる館に余裕が出た時点でやっていきたい。展覧会での支援は、時期が来れば支援活動委員会で話し合うことになるだろう。先ほども言ったように、当面の活動は石巻文化センターの救援だが、その他の活動は長期にわたるであろうことを念頭に置くべきと考えている。また、海外からの貸し渋りで展覧会が開けない、巡回を予定していたところが地震被害で降りてしまって展覧会自体ができないなど、被災地域の美術館のみならず東日本、西日本の美術館にまで影響が出てくるものと思われる。被災館を支援・救援するというような上からの目線での活動というより、相互的な助け合いに近い活動になることを見越して、全美事務局としてはやっていきたい。最後になったが、全美総会でシンポジウムの開催を計画している。宮城県美の有川さん、福島県美の伊藤さん、栃木県美の小勝さんなどに声をかけ、兵庫県美の河﨑さんに司会をお願いして開催したい。

河﨑: このあと意見交換としてフリーでご発言いただきたい。
江上: もはや知らない方も多いのだが、全国美術館会議から『阪神大震災美術館・博物館総合調査』というのが2冊出ている。報告Ⅱの巻末に「被災主要3館と全国美術館会議の1年」がのっている。時間を軸に神戸市立博物館、西宮市大谷記念美術館、兵庫県立近代美術館、全国美術館会議の動きをまとめたものだ。被災館、支援館双方にとってたいへん参考になる資料ではないかと思う。全美ホームページで公開されているが、パスワードがあまり周知されていないようでもったいない。また、手前味噌だが、2002年に兵庫県立近代美術館で『震災から5年 震災と美術 1.17から生まれたもの』という展覧会をした。巻末に地震発生時からそのあと5年の年譜をつけた。被災地における美術をめぐる動きの参考としていただけるかもしれない。
浜田: 今江上さんがおっしゃった『阪神大震災美術館・博物館総合調査』をはじめとする資料はご存じのように3月30日に全美のホームページ上にアップしており、会員メンバーは閲覧することができる。著作権者であるすべての報告者、執筆者、美術館の承諾を得た際、2件をのぞいて「一般公開可」という回答を得たが、情報公開のルールを今後もう少し整備する必要があると考え、認証のかかった「会員館ページ」のみに掲載している。
村上: まだ混乱しているのが現実。公開だけでなく、情報を流すこと自体が混乱していて、阪神・淡路大震災のときのように早く動けない。メールなどよりファックスが今はよいのかもしれない。
浅野: 誰もおっしゃらないので発言させていただくのだが、皆さん経験されていると思うが、海外から借りる約束の作品がこちらに到着しない。つまり貸し出しを中止するということである。原因は原発事故で放射能汚染を先方が気にしているからなのだが。全美で何か安全宣言というか声明などを出すということはあるだろうか。
村上: 確かに「展覧会がつぶれたから何とかしてくれ」というような申し出も寄せられているが、全美としては情報の収集と被災館の支援が最優先で、海外に向けては被害状況の英語版をホームページにアップしたのが精一杯。今のところは、やはり館からの館への説明で乗り切るしかないのではないか。フランスなどは国と国のレベルの話だろうが。
浅野: アメリカなどへは、全美から何かいえないか?
村上: 難しい。
山梨: 確かに海外に向けて何かメッセージが必要だという発想もあるが、まず、国内向けのメッセージや声明が、ある時期になると必要かもしれない。そして、海外へはその声明をもとに各館が説明するといった感じだろうか。原発事故の問題は読めない部分が多く、すぐさま安全・安心といえないが、そういうことも早急に考えないといけない。
村上: むろん、文化庁へ働きかけてはいる。国レベルで考えてみてくれと。
浅野: 長期にわたって、地震国、原発国への貸し渋りなどに発展すると、それこそ全美術館・博物館の大きな問題となってしまう。保険の料率が上がるということも大きな問題となると思う。
田中(千): 阪神淡路大震災の時、地震発生が1月で、文化庁の救援事業(文化財レスキュー)は4月までだったので、なんとか当時事務局だった貝塚さんやそのほかの方々の体力や気力ももった。今回は来年3月まで、まるまる1年の事業なので、それまで全美の体力、財力がもつのかということが少し心配になる。資金の方も心配だ。それこそ義援金が必要になるかもしれない。
村上: 支援活動委員会でお金を集める話もしないといけないかもしれない。

河﨑: 今日の会には、阪神淡路大震災を経験した方々も参加しているが、何かないだろうか。
山野: 当時、兵庫県立近代美術館にいた。神戸市東灘区在住のわたし自身が被災者だった。死んだ人もたくさん見た。館でのことをいえば、1月に地震が起こって4月には今いる京近美に移った。兵庫近美の最後の年は、普及課に属していたので、地震直後は絵画教室の受講生やボランティアの安否確認に明け暮れた。兵庫近美の作品の一部を京近美の展示室の一室に疎開させたりしたが、そのこと自体には直接かかわっていなかった。
尾﨑: わたしも同館にいた。他の美術館の人たちが来てくれて嬉しかったのを覚えている。兵庫近美では地震から2~3ヶ月たった頃、銀行の支店の部屋を借りて作品を展示して無料で見てもらった。地震以後、まともに作品を見ずにいた中で、わたし自身その展覧会に感動し、そのことが文化や芸術の重要性を再確認させてくれた。話をかえて原発事故のからみだが、とかくこの問題は差別を生みやすく、海外の美術館のみならず国内の美術館でもそうした根拠のない貸し渋りが発生しないとも限らない。何も問題がなければ作品貸出には普通に応じるというきまりというか基準を再度こういう場で確認する必要があるのではと感じる。
西田: 勤めて4年目のときに阪神淡路大震災があった。その時の自分を考えると、被災地域の館の職員の方のことをまず心配する。被災するときは全人的に被災するし、個人として被災しながら中核館の中心として周辺美術館に目配りし、なおかつ他地域からの救援部隊にも応対し、そんな中でさらに復興の核として自館での展覧会等の活動を立ち上げていかないような立場におかれた人は本当に大変だと思うし、そんな館で仕事をしていると、自分の中の何かと何かが引き裂かれてしまう。文化財の救援、展覧会の開催もさることながら、全美の活動が人間を主眼においたものであってほしい。
廣田: 神戸市立小磯記念美術館も8ヶ月休館した。その間、全美の救援部隊の人にも来てもらった。私は地震当日の午前に館に着いたが、交通網の断絶などで2人目の登庁が3日目となった。その間情報も入ってこず、不安と孤立感の中で、宿直の派遣会社警備員とともに館内外の被害状況を確認し、少しでも作品を安全な場所に移す努力をした。詳細は全美HPにも掲載の「現場報告」に記している。1週間ほど後から、学芸スタッフは救援物資の配送拠点に回り、その後避難所の支援に回った。館の方は施設担当の管理係職員が詰めて守った。そのような中、確か地震から半月余りたった2月初め頃、当時全美の幹事をしていたブリヂストン美術館の貝塚氏から1枚のFAXが館に届いた。メディアも大規模館や被害の甚大だった館を取り上げるのがやっとで、震災当初から孤立感を持っていただけに、小規模館も見捨てられていないと、大変嬉しく心強く思った記憶がある。館の被害はまだ比較的軽微な方で要請は出さなかったものの、救援隊が神戸に向かっているという情報は耳に入った。現在村上さんたち事務局の方が被災地各館と直接連絡を取られていることは、彼らの大きな励みになっていると思う。また、当館の場合は数ヶ月たってから雨漏りがしはじめ、建物が意外と損害を受けて補修が必要なことがわかった。時間を経てからわかる被害もある。今回の震災においても、今後各館の被害状況に変化が出てくるかもしれない。それと、混乱の中で館としての正式な支援要請というのはなかなか出せない。先ほど保存研究部会から業務で利用できそうな資材リストが出されたが、例えばこれをピックアップして被災地館に送付するとか、FAXで流して必要なものに○をしてもらうとかいう手もある。支援を受け入れ易い状況を作ってあげればよいと思う。今、被災地館の皆さんは学芸員として、あるいは公務員や財団職員として、必死に闘っておられるはず。我々が考えることはまず加盟館の救援だが、その次に全美に加盟できていないさらに小さな美術館や考古・歴史系、自然科学系などの館、リアス・アーク美術館の山内氏の話にもあった、地域の若手芸術家や個人コレクションの救済も視野に入れていく必要があるのではなかろうか。
河﨑: 芦屋市立美術博物館にいたが、文化財レスキューに参加して、地元文化財を救援するというようなことをしていた。また、記憶があいまいだが、被災して休館している館の作品を持ち寄って展覧会にし、そのあとで得た利益というかもうけを館で頭割りしてもらったような記憶がある。そろそろ、時間です。ほかにないか?
伊藤: 会員館以外で被害を受けた施設などの援助は、相談を受けた館(加盟館)が主体的に動き、救援が必要になれば、その館が全美に求めるという流れでよいだろうか。
村上: そういう流れになるだろう。
河﨑: 本日は、長時間にわたりありがとうございました。復興支援へのご協力をよろしくお願いいたします。